尾瀬の開発史・自然保護運動の魁
尾瀬開発の礎・平野長蔵氏は、尾瀬で最初の山小屋「長蔵小屋」の創業者。氏と尾瀬は「日本の自然保護の象徴」と言われます。
尾瀬はあまりにも人里離れた奥地にあるため、記述に残る記録としては関ヶ原の合戦(慶長5・西暦1600)年に初代沼田城藩主・真田信幸の整備した尾瀬を経由する「沼田街道」が歴史上最古で、氷河期に遡っても居住者はいなかったそうです。
往時は福島と群馬の往来に盛んに利用されていた沼田街道ですが、明治に入り日光街道(旧)として整備され利便が向上、これに伴って尾瀬の自然に関する調査研究がはじまると共に平野長蔵氏によって燧ヶ岳の開山、初の山小屋設置など現在への礎が築かれました。
昭和24年に学者・文化人・登山家が中心となって結成した尾瀬保存期成同盟(現日本自然保護協会)の国会への自然保護請願運動などが実り、昭和28年に尾瀬ヶ原一帯が日光国立公園特別保護地区に指定されました。日本での自然・環境保護市民運動の先駆けです。
昭和24年にNHKラジオで夏が来れば思い出す~遥かな尾瀬♪と歌い出す「夏の思い出」が放送されるや、急速に訪問者が増え、天然記念物に指定された昭和31年には「尾瀬ブーム」が起こり、平成8年には年間64万人余りが訪れる一大観光地となりました。
利水計画は白紙撤回・但し発電用取水は現在も
一方、明治から昭和にかけて尾瀬ヶ原のダム化・尾瀬沼の取水・至仏山にトンネル掘削・地所買収など、近県の電力会社による利水開発計画が次々と浮上、一部は砂防堰の設置、取水路工事着工(一部は完成)まで進みました。
利水計画とそれに伴う車道整備計画などは、日本自然保護協会の活動や自然保護運動もあってか平成8年、東京電力の尾瀬ヶ原水利権放棄をもって、完全に白紙となっています。
但し、尾瀬沼からの取水路に関しては昭和25年の完成から現在も片品川源流へ発電用に通水、尾瀬沼の水位低下の一因とも言われています。
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